映画「悪人」を見た。
以下、ネタバレ含む。


主人公である雄一は、出会い系で知り合った女性と言い合いになり、殺害してしまう。
その後、雄一は光代と出会って、心から愛するようになる。
光代を大事に思うことによって自分の犯した罪の意味を次第に理解していく。
だが、雄一には警察の手が迫って、二人は逃避行を始める、というストーリー。


雄一自身はもちろんであるが、殺された女性やほかの登場人物も、単純に善とも悪とも割り切れない存在である。
「本当の悪人は誰なのか」がキャッチコピーというが、考えさせられるものがある。

物語中間部で、娘を殺された父が、「愛する人・大切な人がいない奴は自分のことを強いと思っているかもしれないが、そんなのは勘違いだ」(←かなり省略)と独白するシーンがある。

このセリフが、本作を理解する上で重要な基準になりうるのではないだろうか、と思う。
つまり、愛する人・大切な人がいない人物は、悪人たり得るし、
逆に愛する人・大切な人がいれば、悪人たり得なくなるのではないか。

実際、物語の初めには人を殺すことを何とも思わなかった雄一は、光代を愛することによって、自分のしたことの意味を理解し、それによって悪人ではなくなったように思える。
物語の最後で彼がとった行動の理由は説明されないが、僕にはあの行動が、光代を救うためのものであったのではないかと思えてならない。
つまり、光代を殺す(ふりをする)ことによって、光代が殺人犯である自分を助けたという目で見られるリスクを減らし、
また雄一が本当に悪人だったのかもしれない、との可能性を光代に残すことで、彼女未練を少しでも断ち切ろうとしたのではないか。

たった一人の理解者である光代を殺す(ふりをする)雄一の行為は、自分にはどうしても「悪人」のものとは思えないのである。