高校生のとき、生物の先生に「ウイルスは生きていると思うか?」と聞かれたことがある。
当時の僕は、ウイルスは生きている、と答えた。
細菌と同じように動物に感染し、病気を引き起こすのだから、生物である、というようなことを言った覚えがある。
先生の答えはNOだった。
独立して代謝を行えないし、自己増殖もできないから生物ではない、と先生は答えた。
僕は、「今の生物学の定義では」ウイルスは生物ではないのだ、と理解した。

それから十数年たって、「ウイルスは生きている」を読んで、生物学者の中にも議論は続いてるのだと知った。
非常にエキサイティングな切り口からウイルスとは何か、生物とは何か、を語りかけてくる。
独立した代謝反応等は生物と非生物を切り分ける明確な境界のようにも思えるが、その境界上に位置する存在が見つかることで、境界は簡単にあいまいになる。
他の生物との共生が進み、自己増殖できない細菌も存在するし、ウイルスは一塩基の違いでウイルスとしての機能を失い、転移因子となりうる。

生物とは連続的な存在で、物質と生物の間にも明確な境界などないのかもしれない。
ウイルスとは何か、生物とは何かを深く考えさせてくれる本だった。

映画「悪人」を見た。
以下、ネタバレ含む。


主人公である雄一は、出会い系で知り合った女性と言い合いになり、殺害してしまう。
その後、雄一は光代と出会って、心から愛するようになる。
光代を大事に思うことによって自分の犯した罪の意味を次第に理解していく。
だが、雄一には警察の手が迫って、二人は逃避行を始める、というストーリー。


雄一自身はもちろんであるが、殺された女性やほかの登場人物も、単純に善とも悪とも割り切れない存在である。
「本当の悪人は誰なのか」がキャッチコピーというが、考えさせられるものがある。

物語中間部で、娘を殺された父が、「愛する人・大切な人がいない奴は自分のことを強いと思っているかもしれないが、そんなのは勘違いだ」(←かなり省略)と独白するシーンがある。

このセリフが、本作を理解する上で重要な基準になりうるのではないだろうか、と思う。
つまり、愛する人・大切な人がいない人物は、悪人たり得るし、
逆に愛する人・大切な人がいれば、悪人たり得なくなるのではないか。

実際、物語の初めには人を殺すことを何とも思わなかった雄一は、光代を愛することによって、自分のしたことの意味を理解し、それによって悪人ではなくなったように思える。
物語の最後で彼がとった行動の理由は説明されないが、僕にはあの行動が、光代を救うためのものであったのではないかと思えてならない。
つまり、光代を殺す(ふりをする)ことによって、光代が殺人犯である自分を助けたという目で見られるリスクを減らし、
また雄一が本当に悪人だったのかもしれない、との可能性を光代に残すことで、彼女未練を少しでも断ち切ろうとしたのではないか。

たった一人の理解者である光代を殺す(ふりをする)雄一の行為は、自分にはどうしても「悪人」のものとは思えないのである。

「ウォール街のランダム・ウォーカー」を読んだ。

投資の入門本と謳われるだけのことはあって、基本的なことから教えてくれる。
オランダのチューリップバブルや日本のバブル等のバブルの教訓等々。

投資をしていると、(例えばここ最近の中国バブル等によって)株が下がると不安にはなる。
ただ、不安になった時にこそ、データで示された指針が重要なように思う。

例えば、
・(過去のパフォーマンスが未来のパフォーマンスを保証するわけではないが)過去50年くらいを見れば、株のリターンが債券のリターンを常に上回ってきたこと。
・株価が下がった時には不安から売りたくなり、株価が上がった時にはさらなる儲けを期待して買いたくなるが、これでは安く売り、高く買うことになるし、手数料の点からも損であること。
・安く買い、高く売るのは、プロでも難しいこと。

等が、データを伴って懇切丁寧に説明されている。
やはりバイブル的な本である。

個人的には、インデックス投資は、ベストではないかもしれないが、ベターであることを再確認できた。
インフレを考えれば、現金も、ノーリスクな訳ではないのだし。

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